Nothing is impossible.© The sky’s limit. Your sky. Your limit.©
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Глава 4. Часть про Токио Дом и Тайджи (окончание)ステージに戻ったYOSHIKIは誰の目から見ても荒れていた。新年を迎え盛り上がるステージの上で、仲間のバンドのギターやドラム、スピーカーやアンプまでも投げ倒し、壊したのである。それでも収まらない彼は超満員の客席にダイビングした。YOSHIKIの体や髪は揉みくちゃにされ衣装は引き千切られた。それでもまたステージに上り機材が使い物にならなくなるまで破壊を続けた。
TAIJIを許せなかったYOSHIKIは、一方で、決別した男の記憶を振り払うことに必死だった。TAIJIと一緒に暮らしたのは武蔵野音大近くの江古田のマンションだ。料理が(うま
上手かったTAIJIは、冷蔵庫のあり合わせの材料でどんなメニューでも作ってくれた。(ほうちよう
庖丁もフライパンも握ったことのないYOSHIKIは、TAIJIの手料理が大好きだった。
ライブハウスに丘浪するために衣装を作ったのもTAIJIだった。器用な彼はミシンを使いこなし、(あさくさぼし
浅草橋の問屋で仕入れた革でジャケットを縫い、鋲や鎖や割ったガラスを取り付けて世界にたった一着しかない衣装を作ってくれた。
89年12月、有線放送で最優秀新人賞を受賞する少し前、TAIJIは街で大喧嘩をし、器物破損で警察署に留置されたことがあった。しかし、メンバーはそれを聞いても少しも驚かなかった。タフなTAIJIならそ知らぬ顔で戻ってくるに違いない、と思ったからだ。幸いその事件は表(ぎた
沙汰にならず、メンバーは黙ってTAIJIを受け入れた。
90年_5月、TAIJIは「ROSE & BLOOD TOUR FINAL」大阪城ホール公演の前日、喧嘩で腕に14針も縫う大怪我を負った。痛み止めの注射を打ち、激しいべースを鳴らし続ける彼のロックへの愛情が本物であることを誰もが感じていた。
そのTAIJIをYOSHIKIは切り捨てた。Xを守るためではあったが、冷徹に振る舞った。
YOSHIKIはいつも、バンド仲間やライブハウスの関係者、音楽雑誌の編集者やライターに「Xは家族なのだ」と話していた。
「俺は、手がつけられないわがままな長男、HIDEはそんな俺を優しく包むお母さん、TOSHIは同い年の親戚の男の子で、いつも静かに微笑んでいるPATAは優しいおじいちゃん。そして、1歳年下のTAIJIは、俺と同じで手のつけられない弟なんだよね」
束の間の感傷がYOSHIKIを粗暴にさせた。だが、鹿鳴館のステージをどんなに破壊しようともあの時代に戻れないことをYOSHIKIは理解していた。
92年の(がんたん
元旦、鹿鳴館のライブが終わった直後の午前_8時、YOSHIKIはHIDEとTOSHIとPATAを集め、数時間前にTAIJIをクビにしたと告げたのだった。
「さっき、TAIJIをクビにしてきた。悪いと思ったけど、独断で決定させてもらったよ。理由はみんなも分かっていると思う。でも、もし俺の結論に反対ならこの場でいって欲しい。そして、もしTAIJIをクビにしたことに不満で、Xを辞めたいのであれば、今辞めてもらって構わない。イエスかノーか、この場できっぱり聞かせて欲しいんだ」
TAIJIにクビを通告する辛い役目を負ったYOSHIKIの悲しみがHIDEには分かった。
「YOSHIKIの決めたことに異論はない。俺たちはこれからも変わらないよ」
TOSHIもPATAも答えは同じだ。
スタッフのとりなしもありTAIJIは3日間続く東京ドーム公演には出演することとなった。ドーム公演が終了すると、Xはまたベーシストを失うのだった。
92年1月5日、日本のロックバンドが初めて挑む空前の規模のコンサートがスタートした。3日間のチケットは発売後即日完売し、ドームには観衆がむせ返るような熱気を携えて詰めかけていた。
Xはこの3日間が終われば海外進出のために日本を離れることになっていた。YOSHIKIはすべてのファンにその理由を告げるつもりだった。
「この3DAYSで完全燃焼しなければ、その先はない」
リハーサルでそう眩いたYOSHIKIは、本番を迎えるまでの時間、ひとりで控え室にこもっていた。故障を抱えた体を顧みることも拒絶するなかで、ただ細胞のひとつひとつが弾け、血が沸き立つほどの激しい興奮に身を任せていたのだった。
メンバーが登場し始めると、アリーナ席にもスタンド席にも悲鳴のような歓声が響き渡った。その姿が巨大なスクリーンに浮かび上がると、観客は総立ちになった。ドラムセットを前にしたYOSHIKIの合図に合わせ、地響きのような爆発音が場内の空気を震わせる。ステージ前に巨大な無数の火柱が炸裂した。その演出はまるでアバンギャルドなオペラのオープニングを思わせた。
Xのテーマ曲である「PROLOGUE (~WORLD ANTHEM)」が流れ、TAIJIのいる_X最後のコンサートが始まった。
悲劇的な最期を予感させるYOSHIKI、前衛舞踊のダンサーのような仕草で観客を挑発するHIDE、勇壮な姿で歌い上げるTOSHI、クールな表情のまま天才的なギターテクニックを見せるPATA、鋭い眼とワイルドなスタイルでタフなべースを披露するTAIJI--。異なった5つのキャラクターが響き合い、ステージ上で壮大なドラマが繰り広げられていった。
TOSHIの金属的な叫び声にドームにいるすべてのファンが反応する。TOSHIは広大なステージを大きく見回し、束になってステージにせり上がってくる歓声に応えていた。
緊張が高まりYOSHIKIのドラムソロがスタートする。左右の腕は2本の(むち
鞭のようにしなり、圧倒的な力が激しい音を響かせていった。前後に大きく頭を振り、乱れた髪を風になびかせる姿はルネッサンス期の画家、ボッティチェルリの描くヴィーナスのようだ。また、激しい連打のあとに訪れる苦痛と、それとは裏腹な(こうこつ
悦惚の表情は、チャイコフスキ_i作曲によるバレエ、『白鳥の湖』の王子ジークフリートを連想させた。
ようやく正常な呼吸を取り戻したYOSHIKIがピアノの前に登場し、コンサートは終盤へ突入
する。渾身の力を振り絞ってステージを務め上げたYOSHIKIは首や肩の痛みを鍼治療で抑えていた。彼は、叫び続けるファンの声のひとつひとつを受け止めるために大きく息を吸っていた。この3日間だけは自由に体を動かせるようにと、YOSHIKIは祈り続けた。
コンサートは4時間に及んだ。
東京ドーム3DAIS最終日となった_1月_7日、メンバーそれぞれがさまざまな思いを交錯させていた。ファンには何も伝えぬまま、この日を限りにXを去るTAIJIは、革製のカウボーイハットを目深に被り決して視線を上げなかった。
今日でこのXが終わってしまうのだという切なさはHIDEやTOSHI、PATAの表情を曇らせた。
鳴り止まぬ拍手とファンの声がYOSHIKIを苦しめた。TAIJIは去り、Xは海外に拠点を移すのだ。寂しさのあまりYOSHIKIは流れる涙を止めることができなかった。
ー_2万人の動員数を記録した東京ドーム3DAYSが(ドデイズ
終わり、会場を移しての盛大な打ち上げが行われた。HIDE、TOSHI、PATA、TAIJIは1000人にもなった来客への挨拶に追われていたが、ついにYOSHIKIは姿を現さなかった。公演の期間宿泊している都内のホテルへ戻った彼は、ひとりきりでTAIJIとの思い出に浸っていたのである。
この日以鱗脚らYOSHIKIがTAIJIに会うことはなかった。ふたりが再会するのは、6年92年1月31日、生出演した「ミュージックステーション」で、YOSHIKIがTAIJIの脱退をはじめて公式に発表した。理由は音楽性の違いとされ、多くは語られなかった。
YOSHIKIはまた新しいべーシストを探さなければならなかった。バンド仲間から情報を収集し、友人に紹介を頼み、集まったべーシストのオーディションが行われたが、すぐにメンバーにしたい、と思えるべーシストに簡単には出会えなかった。
べーシストを探すために熱心に動いたのはHIDEだった。92年5月ゴールデンウィークの最中、HIDEは3つ年下のあるベーシストを思い出していた。仲の良い友人に紹介されたそのべーシストは90年5月に行われたXの日本武道館コンサートを観に来ていた。HIDEと彼とは楽屋で挨拶を交わしただけだったが電話番号は交換していた。兵庫県尼崎市出身のそのべーシストの名は(あまがさきもりえひろし
森江博、HEATHは、PARANOIA、VIRUS、MEDIA-YOUTHといったバンドでベースを担当し、ライブハウスで人気を博していた。
HIDEは、HEATHのことをYOSHIKIに告げるとすぐに電話をかけた。
「Xでベースを探してるんだけど、ちょっと音出してみない?」
HIDEからの電話を受けたHEATHは、その話に飛びついたわけではなかった。
「僕より、いいべースが他にもいますよ。たとえば……」
すでに他のバンドで活動していた彼は、自分がXのメンバーになるという実感がまるで湧かなかった。それでもHIDEが誘い続けると、彼は「オーディションを受けるのではなく、セッションなら参加してもいい」といったのだ。面接官を前にしてべースを弾くようなオーディションでは楽しいプレイなどできるはずがないと、HEATHは思っていた。
HIDEはYOSHIKIにそのことを知らせ、数日後、スタジオを押さえてHEATHとのセッションを計画した。現れたHEATHは、随分と気分が悪そうだった。
「二日酔いなんですよ」
セッションに酒の臭いをさせて現れたHEATHに皆が苦笑いした。彼を迎えるHIDEやPATAの方が(はる
遥かに緊張していたのである。
まるでコンサートのリハーサルのように、彼らのセッションはスタートした。「ENDLESS RAIN」「SADISTIC DESIRE」「BLUE BLOOD」「Standing Sex」「Joker」が次々に演奏され、HEATHはXのオリジナル曲を、パーフェクトに近いレベルで弾きこなしていた。セッションが終わるとHEATHがいった。
「結果は、今日は出ないですよね」
そして、べースをケースにしまうとさっさとスタジオを後にしたのだ。メンバーは彼があまりに自然体でいることに驚いていた。強烈な個性を持つメンバーの前でも硬くなることがない。メジャーで成功を収めたロックバンドの一員になってやるというギラついた野心も見えなかった。
「メンバーになる奴は、べースの腕はもちろんだけど、やっぱり一緒にいたいと思えなくちゃね。同じ時間を過ごせて本当に良かったって思える相手じゃなきゃダメだよ。HEATHなら同じ時間を過ごせると思う」
常にそのことを気にかけてオーディションを繰り返していたYOSHIKIは、HEATHの(ひようひよう
瓢々とした風貌が気に入っていた。一緒に音を出していても違和感がない。もちろん、他のメンバーもYOSHIKIに賛成したのだった。
HIDEはその日のうちにHEATHに電話をし、メンバーの感想を告げていた。
「皆、すごくHEATHを気に入ったみたいだけど、HEATHはどうだった?」
そういわれたHEATHは寡黙だった。後日、Xのメンバーが正式に加入を申し入れても、彼は決断を急がなかった。答えを出したのは半月後だ。
「自分のバンドがあったから、いろいろ考えたんですけど、Xとは初めてセッションしてあんなに楽しかったから……やらせてもらいます」
HEATHの慎重な態度と素直な言葉はメンバーにとっても信頼に値するものだった。
新たなべーシストを得たXは、いよいよロサンゼルスに向けて旅立つ準備に追われることになった。
90年にYOSHIKIがぶち上げた世界進出がついに現実となる。YOSHIKIとメンバーは、これから本格的に始まるアメリカ暮らしのために慌ただしい時間を過ごした。まずは渡米し、それぞれが家探しに奔走するのだった。
YOSHIKIはハリウッド・ヒルにある邸宅の賃貸契約を済ませた。家具やインテリアも白と黒を基調にし、自らの手でコーディネイトしていた。緑豊かな庭、グランドピアノの置ける広いリビング、体を鍛えるためのジムスペースとプール、ゆったりと広いベッドルームとバスルーム、友人や仲間のアーティストが訪ねてきた時に使ういくつかの客間、それに車が2台は収容できるガレージがあり、周囲の静かな環境が快適さを増していた。広々とした空間は、好きな音楽を聴いたり、自分の楽曲を創作したりするために最適だった。
弁護士を交えた契約の交渉もすべてYOSHIKI自身が行った。『Jealousy』のレコーディング
以降、英会話のレッスンを続けていたYOSHIKIは、CNNのリポートをヒアリングしウォールストリート.ジャーナルの記事を難なく読破できるまでになっていた。
新しいレコード会社との契約やスタッフとのミーティングなど、渡米したYOSHIKIは分刻みのスケジュールをこなしていたが、心にはゆとりがあった。
よみ汐メリカ進出を目前にしたこの瞬間、YOSHIKIはライブハウスに初めて出演した頃の感激を蘇らせていた。この挑戦の先に何が待っているのか、それを考えると期待と喜びで胸が膨らんだ。
眠れない夜を持て余していたYOSHIKIは、いつしか館山の海を思い出していた。やがて、長い砂浜に白い泡のヴェールを敷いたような波に、ゆらゆらと体を任せている、頼りなげでいて心地よいあの感覚が全身に蘇ってきた。呼吸を止める苦しさなど忘れてしまうほどの浮遊感は、YOSHIKIからすべての恐怖感を奪ってしまう。死すら怖いと思えない。彼が、恐怖を抱くとすれば、それはあの自由な感覚を奪われ鎖で(つな
繋がれた自分の姿を見せられたときだろう。
ようやく体の中に深く食い込んでいく睡魔を覚えたとき、YOSHIKIはふと父のことを思った。
「今の僕を見たら、なんというんだろう……」
目の前に浮かんだのはロールスロイスを指差したときの、あの輝かしい父の表情だった。言葉は聞こえなかったが、彼にはそれで十分だった。
窓に陽光を感じながら眠りが訪れようとしていた。
絶えざる闘いの先に揺らめく、あの光をつかむんだ--。
心に響いた声を頼りにその場所をまっすぐに目指せばいいのだと、YOSHIKIは信じていた。
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Глава 4. Часть про Токио Дом и Тайджи (окончание)ステージに戻ったYOSHIKIは誰の目から見ても荒れていた。新年を迎え盛り上がるステージの上で、仲間のバンドのギターやドラム、スピーカーやアンプまでも投げ倒し、壊したのである。それでも収まらない彼は超満員の客席にダイビングした。YOSHIKIの体や髪は揉みくちゃにされ衣装は引き千切られた。それでもまたステージに上り機材が使い物にならなくなるまで破壊を続けた。
TAIJIを許せなかったYOSHIKIは、一方で、決別した男の記憶を振り払うことに必死だった。TAIJIと一緒に暮らしたのは武蔵野音大近くの江古田のマンションだ。料理が(うま


ライブハウスに丘浪するために衣装を作ったのもTAIJIだった。器用な彼はミシンを使いこなし、(あさくさぼし

89年12月、有線放送で最優秀新人賞を受賞する少し前、TAIJIは街で大喧嘩をし、器物破損で警察署に留置されたことがあった。しかし、メンバーはそれを聞いても少しも驚かなかった。タフなTAIJIならそ知らぬ顔で戻ってくるに違いない、と思ったからだ。幸いその事件は表(ぎた

90年_5月、TAIJIは「ROSE & BLOOD TOUR FINAL」大阪城ホール公演の前日、喧嘩で腕に14針も縫う大怪我を負った。痛み止めの注射を打ち、激しいべースを鳴らし続ける彼のロックへの愛情が本物であることを誰もが感じていた。
そのTAIJIをYOSHIKIは切り捨てた。Xを守るためではあったが、冷徹に振る舞った。
YOSHIKIはいつも、バンド仲間やライブハウスの関係者、音楽雑誌の編集者やライターに「Xは家族なのだ」と話していた。
「俺は、手がつけられないわがままな長男、HIDEはそんな俺を優しく包むお母さん、TOSHIは同い年の親戚の男の子で、いつも静かに微笑んでいるPATAは優しいおじいちゃん。そして、1歳年下のTAIJIは、俺と同じで手のつけられない弟なんだよね」
束の間の感傷がYOSHIKIを粗暴にさせた。だが、鹿鳴館のステージをどんなに破壊しようともあの時代に戻れないことをYOSHIKIは理解していた。
92年の(がんたん

「さっき、TAIJIをクビにしてきた。悪いと思ったけど、独断で決定させてもらったよ。理由はみんなも分かっていると思う。でも、もし俺の結論に反対ならこの場でいって欲しい。そして、もしTAIJIをクビにしたことに不満で、Xを辞めたいのであれば、今辞めてもらって構わない。イエスかノーか、この場できっぱり聞かせて欲しいんだ」
TAIJIにクビを通告する辛い役目を負ったYOSHIKIの悲しみがHIDEには分かった。
「YOSHIKIの決めたことに異論はない。俺たちはこれからも変わらないよ」
TOSHIもPATAも答えは同じだ。
スタッフのとりなしもありTAIJIは3日間続く東京ドーム公演には出演することとなった。ドーム公演が終了すると、Xはまたベーシストを失うのだった。
92年1月5日、日本のロックバンドが初めて挑む空前の規模のコンサートがスタートした。3日間のチケットは発売後即日完売し、ドームには観衆がむせ返るような熱気を携えて詰めかけていた。
Xはこの3日間が終われば海外進出のために日本を離れることになっていた。YOSHIKIはすべてのファンにその理由を告げるつもりだった。
「この3DAYSで完全燃焼しなければ、その先はない」
リハーサルでそう眩いたYOSHIKIは、本番を迎えるまでの時間、ひとりで控え室にこもっていた。故障を抱えた体を顧みることも拒絶するなかで、ただ細胞のひとつひとつが弾け、血が沸き立つほどの激しい興奮に身を任せていたのだった。
メンバーが登場し始めると、アリーナ席にもスタンド席にも悲鳴のような歓声が響き渡った。その姿が巨大なスクリーンに浮かび上がると、観客は総立ちになった。ドラムセットを前にしたYOSHIKIの合図に合わせ、地響きのような爆発音が場内の空気を震わせる。ステージ前に巨大な無数の火柱が炸裂した。その演出はまるでアバンギャルドなオペラのオープニングを思わせた。
Xのテーマ曲である「PROLOGUE (~WORLD ANTHEM)」が流れ、TAIJIのいる_X最後のコンサートが始まった。
悲劇的な最期を予感させるYOSHIKI、前衛舞踊のダンサーのような仕草で観客を挑発するHIDE、勇壮な姿で歌い上げるTOSHI、クールな表情のまま天才的なギターテクニックを見せるPATA、鋭い眼とワイルドなスタイルでタフなべースを披露するTAIJI--。異なった5つのキャラクターが響き合い、ステージ上で壮大なドラマが繰り広げられていった。
TOSHIの金属的な叫び声にドームにいるすべてのファンが反応する。TOSHIは広大なステージを大きく見回し、束になってステージにせり上がってくる歓声に応えていた。
緊張が高まりYOSHIKIのドラムソロがスタートする。左右の腕は2本の(むち


ようやく正常な呼吸を取り戻したYOSHIKIがピアノの前に登場し、コンサートは終盤へ突入
する。渾身の力を振り絞ってステージを務め上げたYOSHIKIは首や肩の痛みを鍼治療で抑えていた。彼は、叫び続けるファンの声のひとつひとつを受け止めるために大きく息を吸っていた。この3日間だけは自由に体を動かせるようにと、YOSHIKIは祈り続けた。
コンサートは4時間に及んだ。
東京ドーム3DAIS最終日となった_1月_7日、メンバーそれぞれがさまざまな思いを交錯させていた。ファンには何も伝えぬまま、この日を限りにXを去るTAIJIは、革製のカウボーイハットを目深に被り決して視線を上げなかった。
今日でこのXが終わってしまうのだという切なさはHIDEやTOSHI、PATAの表情を曇らせた。
鳴り止まぬ拍手とファンの声がYOSHIKIを苦しめた。TAIJIは去り、Xは海外に拠点を移すのだ。寂しさのあまりYOSHIKIは流れる涙を止めることができなかった。
ー_2万人の動員数を記録した東京ドーム3DAYSが(ドデイズ

この日以鱗脚らYOSHIKIがTAIJIに会うことはなかった。ふたりが再会するのは、6年92年1月31日、生出演した「ミュージックステーション」で、YOSHIKIがTAIJIの脱退をはじめて公式に発表した。理由は音楽性の違いとされ、多くは語られなかった。
YOSHIKIはまた新しいべーシストを探さなければならなかった。バンド仲間から情報を収集し、友人に紹介を頼み、集まったべーシストのオーディションが行われたが、すぐにメンバーにしたい、と思えるべーシストに簡単には出会えなかった。
べーシストを探すために熱心に動いたのはHIDEだった。92年5月ゴールデンウィークの最中、HIDEは3つ年下のあるベーシストを思い出していた。仲の良い友人に紹介されたそのべーシストは90年5月に行われたXの日本武道館コンサートを観に来ていた。HIDEと彼とは楽屋で挨拶を交わしただけだったが電話番号は交換していた。兵庫県尼崎市出身のそのべーシストの名は(あまがさきもりえひろし

HIDEは、HEATHのことをYOSHIKIに告げるとすぐに電話をかけた。
「Xでベースを探してるんだけど、ちょっと音出してみない?」
HIDEからの電話を受けたHEATHは、その話に飛びついたわけではなかった。
「僕より、いいべースが他にもいますよ。たとえば……」
すでに他のバンドで活動していた彼は、自分がXのメンバーになるという実感がまるで湧かなかった。それでもHIDEが誘い続けると、彼は「オーディションを受けるのではなく、セッションなら参加してもいい」といったのだ。面接官を前にしてべースを弾くようなオーディションでは楽しいプレイなどできるはずがないと、HEATHは思っていた。
HIDEはYOSHIKIにそのことを知らせ、数日後、スタジオを押さえてHEATHとのセッションを計画した。現れたHEATHは、随分と気分が悪そうだった。
「二日酔いなんですよ」
セッションに酒の臭いをさせて現れたHEATHに皆が苦笑いした。彼を迎えるHIDEやPATAの方が(はる

まるでコンサートのリハーサルのように、彼らのセッションはスタートした。「ENDLESS RAIN」「SADISTIC DESIRE」「BLUE BLOOD」「Standing Sex」「Joker」が次々に演奏され、HEATHはXのオリジナル曲を、パーフェクトに近いレベルで弾きこなしていた。セッションが終わるとHEATHがいった。
「結果は、今日は出ないですよね」
そして、べースをケースにしまうとさっさとスタジオを後にしたのだ。メンバーは彼があまりに自然体でいることに驚いていた。強烈な個性を持つメンバーの前でも硬くなることがない。メジャーで成功を収めたロックバンドの一員になってやるというギラついた野心も見えなかった。
「メンバーになる奴は、べースの腕はもちろんだけど、やっぱり一緒にいたいと思えなくちゃね。同じ時間を過ごせて本当に良かったって思える相手じゃなきゃダメだよ。HEATHなら同じ時間を過ごせると思う」
常にそのことを気にかけてオーディションを繰り返していたYOSHIKIは、HEATHの(ひようひよう

HIDEはその日のうちにHEATHに電話をし、メンバーの感想を告げていた。
「皆、すごくHEATHを気に入ったみたいだけど、HEATHはどうだった?」
そういわれたHEATHは寡黙だった。後日、Xのメンバーが正式に加入を申し入れても、彼は決断を急がなかった。答えを出したのは半月後だ。
「自分のバンドがあったから、いろいろ考えたんですけど、Xとは初めてセッションしてあんなに楽しかったから……やらせてもらいます」
HEATHの慎重な態度と素直な言葉はメンバーにとっても信頼に値するものだった。
新たなべーシストを得たXは、いよいよロサンゼルスに向けて旅立つ準備に追われることになった。
90年にYOSHIKIがぶち上げた世界進出がついに現実となる。YOSHIKIとメンバーは、これから本格的に始まるアメリカ暮らしのために慌ただしい時間を過ごした。まずは渡米し、それぞれが家探しに奔走するのだった。
YOSHIKIはハリウッド・ヒルにある邸宅の賃貸契約を済ませた。家具やインテリアも白と黒を基調にし、自らの手でコーディネイトしていた。緑豊かな庭、グランドピアノの置ける広いリビング、体を鍛えるためのジムスペースとプール、ゆったりと広いベッドルームとバスルーム、友人や仲間のアーティストが訪ねてきた時に使ういくつかの客間、それに車が2台は収容できるガレージがあり、周囲の静かな環境が快適さを増していた。広々とした空間は、好きな音楽を聴いたり、自分の楽曲を創作したりするために最適だった。
弁護士を交えた契約の交渉もすべてYOSHIKI自身が行った。『Jealousy』のレコーディング
以降、英会話のレッスンを続けていたYOSHIKIは、CNNのリポートをヒアリングしウォールストリート.ジャーナルの記事を難なく読破できるまでになっていた。
新しいレコード会社との契約やスタッフとのミーティングなど、渡米したYOSHIKIは分刻みのスケジュールをこなしていたが、心にはゆとりがあった。
よみ汐メリカ進出を目前にしたこの瞬間、YOSHIKIはライブハウスに初めて出演した頃の感激を蘇らせていた。この挑戦の先に何が待っているのか、それを考えると期待と喜びで胸が膨らんだ。
眠れない夜を持て余していたYOSHIKIは、いつしか館山の海を思い出していた。やがて、長い砂浜に白い泡のヴェールを敷いたような波に、ゆらゆらと体を任せている、頼りなげでいて心地よいあの感覚が全身に蘇ってきた。呼吸を止める苦しさなど忘れてしまうほどの浮遊感は、YOSHIKIからすべての恐怖感を奪ってしまう。死すら怖いと思えない。彼が、恐怖を抱くとすれば、それはあの自由な感覚を奪われ鎖で(つな

ようやく体の中に深く食い込んでいく睡魔を覚えたとき、YOSHIKIはふと父のことを思った。
「今の僕を見たら、なんというんだろう……」
目の前に浮かんだのはロールスロイスを指差したときの、あの輝かしい父の表情だった。言葉は聞こえなかったが、彼にはそれで十分だった。
窓に陽光を感じながら眠りが訪れようとしていた。
絶えざる闘いの先に揺らめく、あの光をつかむんだ--。
心に響いた声を頼りにその場所をまっすぐに目指せばいいのだと、YOSHIKIは信じていた。