Начало тут - pay.diary.ru/~say-anything/p74654264.htm
Глава 4, часть про Токио Дом и Тайджи (продолжение)91年8月23日、東京ドーム公演当日。アレルギー症状がひとまず治まったYOSHIKIは、約束の時間に現れ、簡単な音合わせと曲順や演出の確認をして本番に臨むことになった。初の東京ドーム公演を直前にしてまともにリハーサルが行えなかった彼は押し黙ったままで、もはやカレーの話は禁句になっていた。
開演時間を30分近く過ぎて照明が落ち、メンバー全員がステージに上がった。東京ドームを埋めた人々の歓声は、ひとつの大きな波となってうねり、ドームの隅々にまで押し寄せている。
総立ちの観客は、ステージセットを照らす巨大なサーチライトや赤と青の原色の照明を浴び、5人のうちの誰かの名前を叫びながら、曲に合わせて弾けるようにジャンプした。
ステージの両脇に取り付けられた巨大なスクリーンにはメンバーの表情が大きく映し出された。レーザー光線は、それぞれの姿を(たけだけ猛々しく浮かび上がらせた。
YOSHIKIのドラムソロがスタートすると、会場には激情と悲壮が入り交じった。スティックを握ったYOSHIKIは、これまで以上に体を大きく揺らしてドラムを叩いている。ステージから遠く離れた席のファンにも、自分の姿を見せたかったのだ。
動くたびに全身の筋肉が収縮し、彼の体を彫像のように見せた。
YOSHIKIは、命の限り自分の音楽を追求することで、単なるビートの保持者になることを拒絶した。だからこそ観客の感情の弦を掻き鳴らす者として脚光を浴びたのだ。彼の呼吸に合わせHIDEとPATAのギター、TAIJIのべースが掻き鳴らされていった。
やがて、燃える心を宙に放り投げたように、穏やかさを取り戻したYOSHIKIは、女性のようにしなやかで繊細な指でピアノを弾きはじめていた。静けさが漂う客席にピアノの音が波のごとく連なって流れ込んでいく。
ステージ上のYOSHIKIは「破壊」と「静寂」の相反する表情を見せていった。ドラムセットを壊すシーンでは猛烈な(てきがいしん敵憶心を剥き出しにする。そのYOSHIKIがピアノに向かうとわずか数秒で優雅さを漂わせ切ないメロディを奏でた。真昼の白さと真夜中の漆黒を併せ持つ彼は、ファンの心を(せつな刹那にその手でつかんでいった。
日本のロックファンがTHE BEATLESやTHE ROLLING STONES、Led ZeppelinやKISSという時代の担い手であった海外のバンドに求めた熱狂と興奮を、Xの5人が東京ドームという巨大空間に作り出していた。
アンコールになだれ込んでもYOSHIKIが体を(かば庇い大人しくなることはなかった。最後に演奏された「X」では、観客が左右の腕を頭上で交差させ、Xの文字を作りジャンプした。ステージと客席が同じリズムで揺れている。ドームのスタンドを見渡したYOSHIKIは、ステージの上こそ自分の生きる場所なのだと確信していた。
メンバー全員で手を取り合う最後の挨拶まで意識を失うことなく立っていられたことに、彼は心からほっとした。
いつかは体が動かなくなるかもしれない。その不安を胸深く押し込めたYOSHIKIは無事にッしかし、YOSHIKIの不安は早々に現実となって露呈する。91年10月24日、彼は横浜アリーナ公演の最中に(こんとう昏倒するのだ。
コンサート前半、いつものように全力で観衆と向かい合った彼は、あの激烈なドラムソロを終えた直後、舞台の袖に倒れこんだ。スタッフが抱き起こし、名前を呼んでも返事がない。数人に抱き上げられ控え室に横たえられたYOSHIKIは両手で喉元を掻きむしると、苦しそうに呼吸をした。
ステージでHIDEがギターソロを聴かせている間、急遽、ソニーとコンサート運営会社とでこの事態をどう収拾するか、話し合いが始まった。
実はこの日、YOSHIKIは、疲労が蓄積されたうえ風邪を引いており、ベッドから起き上がれないほど弱っていた。午後6時半の開演時間が1時間半遅れ午後8時になったのは、YOSHIKIの会場入りが5時半を回っていたからだった。
控え室でYOSHIKIを診断した医師は安静をいい渡し、コンサートを休むようにすすめたが、彼は聞き入れなかった。
「BLUE BLOOD」「SADISTIC DESIRE」「Desperate Angel」「Standing Sex」「WEEK END」とオープニングの5曲が終わると、ライブの見せ場である彼のドラムソロが始まった。
ステージ中央からせり上がり空中に浮かぶ周囲5メートルほどの舞台で、いつもより長いドラミングを見せたYOSHIKIは、ステージに戻りシンバルを両手でつかむと、ばったりと床に打っ伏した。その時、YOSHIKIの意識は完全に失われたのだった。
スタッフに抱き起こされ、意識を取り戻したYOSHIKIは「もう一度ステージに引き返す」といって聞かなかった。しかし、彼の目の焦点は定まらず、立ち上がるだけの力も残っていなかった。
事態を深刻に受け止めたメンバーとスタッフがYOSHIKIに演奏の中止をいい聞かせ、救急車を呼んで病院に搬送したのである。
その頃、無人のステージを前に45分間もメンバーをじっと待っていたファンは、YOSHIKIの身を案じざわめき出した。時刻はすでに午後10時を回っていた。
やがて、マイクを持ったソニーのスタッフがステージに歩み出ると重々しい表情で「YOSHIKIが倒れ、病院に運ばれたため今日のコンサートを中断します」と発表したのである。
「今、YOSHIKIの体はボロボロなんです。どうか分かってください」
スタッフの説明を聞くとあちこちから悲鳴が上がったが、ファンがパニックに陥ることはなかった。
誰もが振り替え公演の説明に耳を傾けていた。
「本日の振り替え公演は11月12日、明日25日の振り替え公演は11月13日になります。ステージは今日とまったく同じです。照明も同じでやります。振り替え公演には、お手元のチケットの半券で入場できますので、絶対になくさないようにしてください」
間もなくTOSHIがステージに登場し、マイクを握ってファンに直接言葉を投げかけた。
「みんな、ちょっと聞いてくれ。これがXのやり方なので仕方ない。YOSHIKIは今、病院に向かっています。でも、必ず俺たちXは帰ってくるからな。11月に振り替え公演があるから、仕切り直しで、その時に会おう!」
TOSHIの言葉に応え、ファンの大歓声が横浜アリーナに響いた。
「YOSHIKIの気持ちを分かってくれ。本人も(ステージに)行くと、(ドラムを)叩くと、歯を食いしばっていたんだけど、ドクターの診断と、スタッフ、メンバーの判断でこういうことになった。そのかわり11月の振り替え公演では、そうだな、250倍にして返すからな。お前たちもそのつもりで楽しみに待っててくれ。今日は気をつけて帰ってくれ」
手を振ったTOSHIもステージの袖へ姿を消した。
病院で「急性気道炎」と診断されたYOSHIKIは、即時入院させられた。
それから数日間、病院で休養を取ったYOSHIKIはずばぬけた回復力を見せていた。「ファンの皆に謝りたい」という気持ちが、回復の助けにもなっていた。
10月29日「第6回目EXTASY SUMMIT」で復活したYOSHIKIは、その2日後、(こむうてつや小室哲哉との共同プロジェクト「V2」結成を発表する記者会見を行った。YOSHIKIは周囲に溢れる刺激的な人物や興奮を誘うプランに心を躍らされ、それらを無視できずに仕事を拡大した。なかでも、メジャーデビューしてすぐに知りあった小室とは、心を開き特別な信頼関係を築くまでになっていた。
小室は、(うつのみやたかし宇都宮隆、(きねなおと木根尚登とともにTM NETWORKのソングライター兼キーボーディストとして活躍していた。彼が作曲した(わたなべみさと渡辺美里の「My Revolution」が大ヒットして以来、トップコンポーザーの地位も確立していたのだった。
ソニー傘下のレコード会社に所属している小室は、YOSHIKIより7歳年上だったが、共通の話題は多かった。YOSHIKIと小室が互いに心を通わせることができたのは、幼い頃の環境が似ていたからだ。4歳からピアノをやっていたYOSHIKIに対し、小室は3歳からバイオリンを習っていた。
クラシックを基盤にハードロックやプログレッシブロックに没頭していったふたりは、アマチュア時代からプロになった現在まで、作詞・作曲からプロデュースまで手がけるという共通点もあった。
時間が許せば一晩中でも語り合った彼らは、やがて「お互いの音楽の世界を融合させたら面白いことができるかもしれない」と話し、ふたりで楽曲を作りCDを発表することを決めたのである。
91年10月31日、ふたりが記者会見を行うと音楽業界は騒然となった。人気バンドのリーダー同士がユニットを組むことも前例がなかったが、それ以上にYOSHIKIと小室が作り出す世界に期待が高まった。
91年11月12日と13日、YOSHIKIは横浜アリーナのステージに立っていた。真紅のロングジャケットを羽織って登場すると、オープニングからステージ中を走り回る。客席に大きく手を振ったYOSHIKIは、全力疾走することでもう心配無用であることを伝えようとしていた。
「お前たち、約束どおり250倍にして借りを返しに来たぜ!」
TOSHIの絶叫とともに再開されたコンサートで、YOSHIKIは射られた瞬間の矢のような
力強さを(みなぎ滋らせドラムを打ち鳴らした。蓄えた力を加減することなど考えもしなかった。絶え間なく
身を翻して叩くドラムには照明が当たり、会場に満ちた空気のあらゆる光輝を反射していた。
肩を揺すり首を傾げるいつもの仕草でピアノを演奏するYOSHIKIは、その旋律に応えてくれ
るファンを見やりながら、「ありがとう」と何度も眩いた。
YOSHIKIとメンバーが発散する見事な熱気が会場全体に広がっていった。
ファンの前に立つXは、鋼のような骨格を作り上げていたのだった。
ようやく「Violence In Jealousy Tour」を終えたYOSHIKIに休日はなかった。『Jealousy』で100万枚の売り上げを達成したことと、初の東京ドーム公演のチケットがわずか2時間で売り切れたことには満足していたが、同時にXがメジャーシーンを変える存在であることの証明は、この先
も続けていかなければならないと思っていた。そのためにも刺激が必要だった。次なるドーム公演をいつにしようかと考え、また『Jealousy』のレコーディングの前に決意していた世界進出のシナリオを練った。レコード会社のスタッフもYOSHIKIの堅い決意を受け入れざるを得なかった。
欧米のロックバンドと肩を並べるXの挑戦は、その第一幕が開91年11月25日、YOSHIKIはメンバーとともに記者会見に臨んでいた。マイクに向かった彼は静かな口調で来るべき翌年の計画を発表したのである。
「Xは92年の1月5日、6日、7日と東京ドームで3日間連続のコンサートを行います。同時に、海外への進出の計画もしているんです。来年早々には、日本を離れることになるでしょうね」
マスコミは、東京ドームの3日間の公演が、海外でのデビューを目指すXの「さよなら公演」になると報じた。日本を去ることが事実として伝えられると後戻りできない重圧がYOSHIKIをかえって高揚させた。26歳の彼には制御や防衛という言葉は必要なかったのである。
ところがー。ひとつの巨大な火の玉となってステージに立っているとYOSHIKIが信じたXの内部には外部の人間が知る由もない亀裂が生じていた。
原因は、TAIJIの言動にあった。Xのべーシストであり、サウンドの中核を担う彼は、YOSHIKIとTOSHIに次ぐ古参のメンバーだ。YOSHIKIはロックの魂を持ったTAIJIを弟のように思い、下積みの時代をともに過ごしてきた。しかし、TAIJIは常に(も掛めごとを起こす火種でもあつた。
メジャーデビューを迎えた時期に結婚をしたTAIJIは金銭にも名声にも(どんよく貧欲だった。YOSHIKIは、ロックアーティストとして野心を剥き出しにするTAIJIを誰よりも認めていた。が、彼の激しい言葉は、ときには仲間の心を深く傷つけた。
「Violence In Jealousy Tour」の最中だった。北海道公演を終えたその翌日、HIDEはYOSHIKIを朝の6時に起こしファミリーレストランへ誘うと、こういった。
「YOSHIKI、俺はもうTAIJIとはやっていけないよ」
HIDEがふざけてじゃれ付いたことに怒ったTAIJIがHIDEを罵倒したのだという。機嫌が悪ければステージ上でふてくされ、べースを弾く手を止めてしまうことも許せないと、HIDEはいった。努めてTAIJIとHIDEの間に入り緊張を解こうとしたYOSHIKIは、「XにはTAIJIが必要なんだ」とHIDEに話した。
YOSHIKI自身もTAIJIとは何度も揉めていたが、それでもTAIJIをメンバーとして受け止めていた。そんなYOSHIKIがついに彼を切り捨てる決心を固める。年末が迫る頃、YOSHIKIとの誓いをTAIJIが破っていたことが分かったのだ。べーシストとしてのTAIJIを好きでいても、ルールを破った彼は人として信頼できない。YOSHIKIの決意は揺るがなかった。誰にも相談しないままTAIJIにクビを告げることにしたのである。
91年12月31日、Xは「第42回NHK紅白歌合戦」に出場し、そのステージで「Silent Jealousy」を披露した。ハードロックバンドとして初めて紅白歌合戦の舞台に立ったXは、日本全国津々浦々でテレビ画面をみつめる老若男女に、そのスタイルを顕示した。数千万人の視聴者から情熱を示す若者の代表として受け入れられた彼らは、紅白のステージを心から楽しんだ。
紅白歌合戦終演後、YOSHIKIはメンバーとともに目黒鹿鳴館で行われていた恒例のカウントダウンライブに合流した。ステージに上がってファンへの挨拶をし、演奏を終えると彼はすぐに外に出た。そこから電話をかけ鹿鳴館の楽屋にいたTAIJIを呼び出したのである。場所は(えびす恵比寿のバーだった。
目の前に座ったTAIJIにたった一言、YOSHIKIはこう告げていた。
「クビだ」
「どういうことつ・」
TAIJIはYOSHIKIの言葉を理解できない。
「Xはもう、お前とは一緒にできないんだよ」
「どうして?」
「だから、そういうことだよ」
YOSHIKIは理由を告げずともTAIJI本人がそれを分かっていると知っていた。
YOSHIKIが本気であることをTAIJIは悟ったようだった。
「他のメンバーは、ここでYOSHIKIが俺にクビをいい渡していることを知っているのか?」
「誰も知らない」
「突然そんなこといって、YOSHIKIはおかしいんだよ」
YOSHIKIの声は、低く震えていた。
「俺の気持ちは変わらない」
TAIJIは、こう切り返した。
「東京ドーム3DAYSはどうするんだよ」
「そんなこと、今は考えてない」
「考えてないっていったって、5日後に東京ドームがあるんだよ」
「このあと考えるよ」
そういって店を出たYOSHIKIは再び鹿鳴館に帰っていった。